ワルシャワ

異国情緒

仕事で隣に座っている Vさんがポーランドのグダンスクに行ったことを聞いたのをきっかけにポーランドがわりとお手軽な旅行先であることを知り、週末を利用してワルシャワに出かけてみることにしました。

少し古い空港(隣のターミナルはものすごく新しかったけど)や、やたらと大きなワルシャワ中央駅、そして通りの「ソビエト」の文字なんかに東欧らしい独特な雰囲気を感じます。

でもそれ以上に異国情緒を感じるのは、お店の中とか。子音が並びまくった言葉とか、スーパーの中のこんな感じのコーナーなんかは今までにあまり見たことの無い感じがあってちょっとワクワクします。3枚目の写真みたいにレトロなトラムに近代的なビルとスターリンが贈ったという権威を感じさせる文化科学宮殿なんかが同時に見えるのなんかは特に。ワルシャワの市内はトラムが縦横無尽に走っていて、これを乗りこなせれば移動は便利。でも、どの路線がどこに行くのかを路線図から探し出すのは至難の業。

文化科学宮殿は、周りの風景に溶け込まずスゴイ威厳を感じさせる異様な雰囲気。中央駅の前にはそんな建物もあれば、次の写真のように近代的なデザインが施されたショッピングモールがあったり、今にも崩れそうな雰囲気の廃墟?みたいな建物があったりゴタゴタ感が逆に面白い感じ。

ワジェンキ公園と水上宮殿

大変美しいワジェンキ公園の入り口にあったのが、第二次ポーランド共和国の建国の父と言われるユゼフ・ピウスツキの像。威厳を感じさせるその姿と顔つきは、自分がイメージする東欧やロシアのイメージとなんだかすごく合致。3枚目の像は、ショパンのもの。ワジェンキ公園内にあって、5月から9月にかけてはこの像の傍らで野外のショパンコンサートが行われるのだとか。像の周りには、バラがたくさん植えてあったのできっと夏の晴れた時なんかにショパンをこんな場所で聞けるのはいいだろうなぁ。

紅葉の美しい公園内に突如現れるのが水上宮殿。この日は天気が悪かったのだけれど、水煙に浮かび上がるような宮殿はそれはそれで美しくていい感じでした。ここには、1790年頃に建設された野外劇場も残っていて、往時の繁栄を感じさせてくれます。

ワジェンキ公園は 17世紀に造園されたのだそうで、ここが首都のど真ん中なんだろうかと疑いたくなるくらい静かで美しい公園でした。夏に野外のショパンのコンサートを聴きにくるなんて贅沢ができるのもちょっと羨ましい感じ。

忠実に再現された旧市街

王宮広場が見えてくると、その一角がワルシャワ中央駅近辺の近代化されつつちょっとゴタゴタした雰囲気とは全く違う顔を持っていることに驚きます。まさに中世ヨーロッパの街並み。王宮前には古めかしい馬車とが行き来していていい雰囲気です。

驚くのは、旧市街が世界遺産に指定されたことを示すパネルがある辺りにひっそりと置かれた第二次世界大戦末期に破壊されつくされた旧市街の写真。今目の前にあるこの光景は全てその後に忠実に復元したものとのこと。中世から続くように見えるこの街並みは、東京がそうであるように全て戦後作られたものだというのはちょっとした驚き。家々の壁には様々な装飾がされていて、それには色々と意味があるのだそう。例えば最後の写真には 3人の女性の顔の絵が書かれているのだけれど、これは当時 結婚適齢期を迎えていた 3人の娘がいることを示すために描かれたものなのだとか…余計なお世話だよなぁなんて思いつつ。

旧市街の中を歩いていても、それが再現されたものだということを感じるのは難しいくらい。旧市街広場の中心にはワルシャワの人魚像があります。実は、この人魚像はコペンハーゲンの人魚と姉妹なのだとか。こちらの人魚はバルト海からヴィスワ川を遡りワルシャワ旧市街にたどり着き、そこの猟師達からその美しい歌声で慕われていたところを、ある商人が縁日の見世物にしようとこの人魚を捕らえたのだけれど、猟師達がそれを助け出してあげたことのお礼として、恩人たちを一生涯守り続けるということで剣と盾を持ってワルシャワとその市民を守り続けているという伝説があるのだそうです。

旧市街の入り口に当たる場所にあるのがバルバカンと呼ばれる砦。ここから旧市街を守るように城壁が伸びていて、今もなお復元の工事をしているようでした。もともとは 1548年に建設された砦だというから、かなり古くからあったわけです。

王宮もその歴史は古く、13世紀に公爵の城郭として建設された後、1526年以降はポーランド国王の居城となった場所なのだそうです。しかし、ここもまた第二次世界大戦で破壊されたため 1970年代から1980年代にかけて復元工事が行われて今の姿になったのだそう。これまでにも多くのヨーロッパの王宮を見てきたので、大抵この手のものは同じような雰囲気だったりするのですが、寄木細工のような床やコペルニクスの像があったりするのがちょっと面白かったかな。

旧市街広場にハロウィンの飾り付けが美しくされていたレストランが「ウ・フキエラ」。その飾りつけは店内に至るまで徹底していて、かなりいい雰囲気。本日のスープとして出されたのもカボチャのスープ。チーズがたっぷり入った濃厚なスープは実に美味。奥さんが頼んだワルシャワ風のモツ煮込みみたいのもスパイシーですごく美味。メインで頼んだのは、肉料理が美味しいという話もあったのでカツレツ。ちょっとヘビーではあったけどコレはコレであり。独特な雰囲気も楽しめていい感じです。

戦争の歴史を物語る場所

ワルシャワには第二次世界大戦で起こってしまったその事実を後世に伝える場所が数多く残っています。最初の 2枚の写真はワルシャワ・ゲットーの英雄記念碑で、蜂起軍とナチス軍の最初の戦いを追悼するものなのだそうです。非常に目に焼きついたのは、シベリアの強制収容所へ抑留されたポーランド人を追悼するために作られたという追悼碑。数多くの十字架が貨車に突き刺さるようにあり、その線路の枕木にはポーランドの人たちが苦しんだソ連の地名が書かれているのだそうです。

P の文字に W が合わさったようなロゴは Kotwica(錨)を意味していて Powstanie Warszawaskie (ナチスドイツからのワルシャワ蜂起)のもの。ワルシャワの街を歩いていると時々このロゴを見かけます、それはこのような形のプレートだったり落書きだったり。次の 2枚の写真はそのワルシャワ蜂起の記念碑。第二次世界大戦末期にワルシャワ市民がナチスドイツに対して蜂起したものの、頼りにしていたソ連軍はヴィスワ川対岸から進軍することなく、街は徹底的に破壊され 63日間の戦いの後に降伏。この記念碑はその戦いで命を落とした英雄達を追悼するものなのだそうです。その次の少年兵の像もその戦いで闘ったボーイスカウト達を追悼するもの。最後の写真は、無名戦士の墓で、こちらは第一次世界大戦の際にポーランドの独立のために戦って命を落とした人たちの遺骨と戦場の土が安置されている場所。

美しく復興したワルシャワに点在するこうした場所は、戦争の残した傷を今もなお訴えかけてきます。同じように戦後目覚しく復興した日本とはまた違う形でその歴史を物語るこのような場所を見ると、いろいろと考えさせられるものがあります。

ショパン、キュリー夫人、コペルニクス

科学者と芸術家が集まるワルシャワ大学の周りでは、ポーランドが輩出した科学者や芸術家の足跡を巡ることができます。十字架を背負ったキリストの像が目印の聖十字架教会、この教会の柱には生前のショパンの願いによって故郷に戻った彼の心臓が安置されています。ショパンの音楽には、故郷の独立のために戦う人々の苦悩やショパン本人の故郷への郷愁が表現されていると言います。ショパン博物館は残念ながら工事中で入ることができませんでした。

ワルシャワ大学の真向かいにある美術アカデミーの 3階には、ショパンがポーランドを離れる前に暮らしていたアパートの一部が再現されたショパンのサロンがあります。19世紀に製作されたという少し小さなピアノの置かれた静かな部屋にいると、ショパンの奏でる旋律が聞こえてきそうな感じすらします(撮影禁止だったのが残念…)。美術アカデミーの階段や廊下に張られたポスターがいい味を出していました。

キュリー夫人博物館は旧市街からバルバカンを抜けて少し歩いたところにあり、彼女の業績を偲ぶことができる場所。フランスのソルボンヌを出て、おそらく今でも唯一のノーベル物理学賞と化学賞の両方を受賞した人物。展示で気づいたのだけれど、確かにユーロ参加前の フランスの最後の 500フラン紙幣にキュリー夫人が描かれていた気がするし、祖国ポーランドでは 旧 20000ズウォティ紙幣にもその肖像が描かれていたのだそう。放射線の研究で多くの人を救ったものの自らはその研究の影響で白血病で無くなったのだそう。最後の写真は、地動説を唱えたコペルニクス。コペルニクスの像がワルシャワにあることに最初「なんで?」と思ったのだけれど、コペルニクスは国籍がポーランドでドイツ語の方言を母語とする人物なのだそう。旧市街の中にある王宮にもコペルニクスの像があったりします。

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